抜弁天厳島神社
抜弁天交差点にあるミニ神社。昔は源義家が祈願した厳島神社の所在地に立つ。この近くを
旧鎌倉街道が通っていたために源義家の伝説があるのだといわれる。
境内が南北に通り抜けでき、また苦難を切り抜くための弁天社、いわゆる抜弁天として
庶民から信仰され、江戸六弁天、山の手七福神の一つに数えられた。神社付近一帯は、
江戸時代の犬小屋跡である。五代将軍徳川綱吉は天和2年(1682)に世継の徳松を亡くした悲しみから、
貞享2年(1685)以降、数回にわたり生類憐れみの令を出した。元禄8年(1695)には中野に160,000坪、
大久保に25,000坪の犬小屋を設けて野犬を収容した。同年10月には42,000匹に達したという。
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西向天神社
古くから東大久保村の鎮守社であり、正式には大久保天満宮という。現在でも広い境内を持ち、
椎の木などが森をなしている。菅原道真を祀った京都の北野天満宮を勧請したもの。
西向天神社という名は、地形上、社殿が西方(京都)を向いていたからつけられたものである。
他に棗(なつめ)天神という俗称もある。これは、寛永年間(1630年代)に、三大将軍家光が
鷹狩りに来た際に、荒廃していた当社を見て、社殿等の修復のために金の棗の茶入れを下賜して
再興を促した、という伝承によるもの。また、慶安から天和年間には、桜の名所であった
ことも書物に残されている。太田道灌の山吹の里伝説で知られる紅皿碑と富士塚がある。
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資料:新宿区観光協会 写真撮影 宮本順伯
正月獅子舞 2019
正月獅子舞 2020