Enoshima 2023
(L)片瀬江の島駅 (R) 境川
(L)江の島地図 (R) 青銅の鳥居(江島神社)
快晴の11月の平日、七年ぶりに江ノ島と鎌倉とを訪れた。小田急電鉄では、一部のロマンスカーを除き、片瀬江の島への
直通運転を止めている。新宿・藤沢間は20分おきに快速急行を走らせて60分ほどで、その間を繋いでいる。高校・大学生
時代に片瀬近くの腰越に滞在していたことも多く、江ノ電江の島駅近く、龍口寺交差点近くに歴史ある上州屋は建て替えて
今も残るが、小さいながらも、とても美味しかった蕎麦屋は既にない。当時、夏は片瀬東浜から江ノ島まで泳いで往復した
ことも少なくないが、海岸沿いに自動車道路もなく、砂山が続いていた。小動岬の腰越漁港では水揚げの船で賑わっていた。
片瀬地区の変貌は著しい。砂山は半世紀以上前に消滅したが、海岸沿いに建設された自動車道路は始め、片側2車線であった
が、今、4車線のまで拡張されていたのには驚いた。東浜の砂浜はそう広い感じはなかったが、大きく広がり黒砂となつて
いた。埋め立てでもしたのだろうか。自分が若かったときの印象とは極めて乖離しており、別世界を歩いているようだ。
私が歳をとり過ぎているのだろうか。
筆者 2023年撮影
磯料理店のいけすと刺身定食
かいしま
片瀬東浜と江ノ島:砂浜は以前よりも拡大している
片瀬東浜と小動岬:腰越漁港はこの先に、数隻の漁船が砂浜に係留されていた
(L)お茶 (M)前菜 (R) もりそば:腰越 松原庵 青
戦争直後、神戸橋近くの小川沿いに建っていた別荘から腰越海岸まで海水パンツで歩いていた小道は、自動車道路
[腰越大船線]となり、水産卸会社の跡地近くの角地には、Hotel Ao Koshigoe が建設され、1階は蕎麦専門店、
[ 松原庵 青]となっていた。前の海岸沿いの道路を沢山の自動車が鎌倉、藤沢、または、小田原方面に向け走って
いた。江ノ電腰越駅は以前と同じくホームを延長できず、4両編成の電車の内、1両からは乗り降り出来ない。
(L) 江ノ電腰越駅 (M) 江ノ電鎌倉駅 (R) 鎌倉鶴岡八幡宮平家池
(L) 鎌倉鶴岡八幡宮太鼓橋 (M) 手水舎 (R)鶴岡八幡宮大石段
鎌倉鶴岡八幡宮入口の大銀杏は今はなく、何かぼっくり穴が開いているようである。 手水舎は堅牢なコンクリート
製に建て替えられていた。平家池と源氏池に昔の面影を探ったが当時の記憶はあまりない。
Sunset in Enoshima Island 2023
江ノ島、小動岬、片瀬海岸 1949-1958
撮影 宮本順伯
[左]1950年代の江ノ島 [右]江ノ島への桟橋
[左]1950年代の江ノ島岩屋洞窟 [中]江の島側から見た桟橋、境川、西浜 [右]1950年代の東浜
[左]1950年代の腰越海岸 [右]1950年頃の小動岬:
岬の手前には腰越漁港があり漁船が係留され、時には波打ち際近くに漁師の獲った魚が落ちこぼれていることがあり、良き時代であった
1950年代の腰越裏山と富士山:2023年現在、多くの住宅で埋め尽くされている
Enoshima-Kamakura Enoden Tour
Mount Takao
Odakyu Railway
Hakone-Tozan Railway
Cat-tram
Usui Pass
江の島、片瀬、鎌倉
2023年11月執筆 医学博士 宮本順伯
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This information was provided by the Smokefree Hotel and Travel.
The article was written in November 2023, by Junhaku Miyamoto, M.D., PhD.
Photographs were taken by his associate.
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