インド訪問記



Copyright (C) 2010 Junhaku Miyamoto, PhD. All right is reserved. Taj Mahal


成田からニューデリーまでの飛行時間は直行便で10時間近く、やはり疲れる。JAL便で空港に到着したのは夜。
税関を通り抜けタクシー乗り場に向かう。宿泊するホテルにタクシーの手配を依頼しておいたのは正解であった。
空港の建物を抜け、照明のほとんどない真っ暗な野外駐車場を通り抜けたが、周りには数多くの車と車、そして
客待ちするインド人の群れ、そこをかき分けて迎えのタクシーにたどり着くまでは本当に怖かった。ネット情報
によると指定したホテルでなく見知らぬホテルに連れて行かれたり、人気のない場所で法外な料金を請求され、
そのまま置き去りにされるケースもあるとのことである。命とお金を守るためにもタクシーの選択には十二分の
注意が必要である。幸い、指定したホテルに無事に着くことが出来て本当に安堵した。 ニューデリーの治安が
安定していない中、一流ホテルの敷地内はあたかも治外法権のような安らぎと安心感とを与える。

ホテルのゲートと玄関での二重チェックが原則であるが、明らかに宿泊客と見なされると、容易に入館すること
が出来る。玄関では必ず金属探知機のゲートをくぐる。一番厳しかったのは、サッカーのワールドカップ指定
ホテルとなっていたメリディアンホテルで、歩道には砂嚢が築かれ、銃をもった兵士が多数警備し、入口で
は金属ゲートをくぐると男女 別に厳重な身体検査が行われ、ロビー入口では空港と同じレントゲン装置に
荷物を通過させるという厳戒態勢であった。筆者はニューデリーのホテルに4泊したためか、顔を覚えられ
フリーパスであった。このホテルは日本航空の関連ホテルであり、1階には日本食を提供する料理店がある。
ホテルのレストランで提供されたイタリアンスパゲッティは、今までに味わうことのない絶品である。


Jaypee Palace Hotel, Agra


ニューデリーのホテル敷地内には、咲き誇るブーゲンビリアの傍らにロールスロイスの立派なショールームの
あるところもある。1931年建設、コロニアンスタイルの由緒あるホテルには、長く連なるショッピングアー
ケードがあり、シャネルの店も構えていた。ここでは屋外喫煙所が設けられていたが、他のホテルでは屋内は勿論、
屋外にも喫煙所らしきものは設置されていない。アーグラの小高い丘の上に建設され、丘全体をホテル敷地とし、
そこに建つ赤みを帯びた レンガ色の建物は、多くの来訪者を圧倒するだろう。そこには、ブーゲンビリアの
花が咲き乱れ、柵で完全に仕切られた外界とは全くの別世界である。


(L) 数多くのインド人が訪れるインド門 (R) ラクシュミー・ナーラーヤン寺入口


1911年に英領インドの首都がデリーに建設され、1931年にインド門が完成した。高さは42メートルあり、
第一次世界 大戦で戦死したインド兵士の慰霊碑である。多くのインド人がここを訪れていた。ラクシュミー
・ナーラーヤンは1932年に完成したヒンドゥー寺院である。「ナーラーヤン」はヒンドゥー の神、ヴィシュヌ
の別名であり、「ラクシュミー」はその妃の名に由来する。入口にはセキュリテイチェックがあり、カメラ、
ビデオの撮影機材は鍵のかかるロッカーに収容せねばならない。従って一切撮影は出来ない。履き物をぬいで
裸足で寺院内部に入る。大理石の床は素足だととても気持ちよい。多くのインド人が神々の部屋をめぐり
祈りを捧げていた。 ムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンはアーグラからデリーに遷都し、新たに
自らの名を冠した都城を造営した。 その中心レッド・フォートである。チャンドニー・チョウク・メトロ駅
から人と車がひしめき合う雑多な店の建ち並ぶ大通りを行くと、急に広場が開けラホ-ル門に至る。
セキュリテイチェックを受けた後ラホール門を くぐり抜けると、土産物店の建ち並ぶアーケードがある。
その奥に宮殿が建ち並ぶ。一時は栄華を極めたが、1857年に起きたイギリス、反乱軍との戦闘で多くの宮殿は
破壊された。


(L) Naqqar Khana, Red Fort, Dehli (R) レッド・フォートの芝生に集まった多くの男女高校生


レッド・フォートの広い敷地には多くのインド人が訪れていた。理由は定かではないが、筆者らは高校生の
大歓迎に遭った。 日本にあこがれているようで、沢山の人々から握手を求められた。これらの人たちが
社会を動かすときは、インドも大きく変わっているに違いない。少なくとも、そう望みたい。


(L) レッド・フォートを訪れた黒い衣装のイスラム圏の人々 (R) アクシャルダム 駅に飾られたアクシャルダム寺院のパネル


アクシャルダム寺院は、インドのデリーにある、ヒンドゥー教の寺院で、祭神は聖人スワミナラヤンである。
1968年当時、BAPSスワミナラヤン教の教祖ヨギ・マハラジが、ヤムナー川岸に巨大寺院建築の建設を構想。
彼の死後、後継者のプラムクが構想の遺志を継ぎ、デリー開発局への申請を経て、 正式に建設が決定した。
2000年4月に開発局から24万平方メートルの土地を与えられ、2000年11月に工事が着工、5年後に正式に
開院した。世界最大のヒンドゥー教寺院である。植物や動物、 神々の彫刻が施された石造の寺院は、高さ
43メートル、幅96メートル、長さ110メートルある。ラージャスターン州産の砂岩やイタリア・カッラーラ
産の大理石を使用するなど、建築には鉄やコンクリートが使用されていない。象の彫刻や スワミナラヤンの
巨大な絵が掲げられている。この寺院に入る前に携帯電話、カメラ、ビデオなど、貴重品を除くすべての
荷物を預けねばならない。セキュリテイ用の建物があり、男女別に厳しいチェックを受ける。列をつくり、
相当長い時間を待たねばならないので、それに耐えねばなら ない。入場料は無料である。寺院の雄大さ、
きめ細かな彫刻を通じて、インドの神話物語を学び取ることが出来る。夕日に映える寺院はまた格別である。
ただ、カメラもなく、撮影できないので自分の脳細胞に記憶させるしかない。新しい ヒンドゥーの寺院建築と
して世界に誇れるインドの歴史的資産であろう。


鉄道・・・


ニューデリー駅ホーム


インドの首都ニューデリーでは、地下鉄と地上・高架鉄道からなる大量高速輸送システム(デリーメトロ)
の大部分の路線が完成し、今も空港連絡路線の建設などがが進められている。その目的は最近のインドの
急速な経済発展による 交通渋滞と大気汚染防止にある。建設にあたって日本政府は1996年度から6回に
わたり総額約1,627億円の円借款を供与している。さらに2005年度からこの第2フェーズに対しても円借款
(2006年度までに284.83億円)を供した。 デリーメトロの建設には、日本のコンサルタント会社、建設
会社や商社等も参加し、日本の技術や経験が生かされている。インド全体のインフラが遅れている中、この
鉄道部門のみが光彩を放っている。しかし、フランス、スエーデン、 ドイツ、韓国、日本などから輸入
された電車内に、バンコク・スカイトレインで見られた駅名などを表示する電子掲示板はない。


(L) メトロ Rajiv Chowk 駅改札口
(R) デーリーメトロの車内風景、女性専用シートがある


ニューデリーの中心部のコンノート・プレイスを中心に立体的、機能的な地下駅舎が整備されている。地下鉄
入口では手荷物検査がある。切符は窓口で買うが プラスチックの磁気コインである。これはバンコクの地下鉄と
全く同じである。頻繁に乗り降りしたり、一日、電車ををフルに利用したい場合はトラベルカードが便利である。
ただ欧米で発売されている24時間単位のものではないので、朝の時間帯に 購入しない限りメリットはない。
価格は一日券で150ルビー(約300円)で、この磁気カードを返却すると50ルビーが戻ってくる。

乗車マナーはバンコクなどの場合と異なり非常に悪い。駅で下車するときは真っ先に降りないと、乗車する人々に
車内に 押し戻されてしまう。後ろにいる時は、ある程度の人が乗り込んだら、力で押しのけてホームに降り立つ。
座った後に自分のおしりを左右に動かして自己領域を拡大するものもいる。車内での飲食は禁止されているのに、
ピザのかすを車内に ぽろぽろ落としながら食べていた高校生にも出くわした。ただ、全ての人がそうではないし、
非常にちゃんとした人もいる。中心部から郊外へ向かう車内で、カラフルなサリーをまとった女性たちが
日の光を受けて映えるすばらしい 光景に遭遇したが、撮影を躊躇したため、映像に残すことは出来なかった。

地下鉄の車両には「女性専用シート」がある。バンコック地下鉄に「僧侶用シート」があったが、いずれも他の
国では見られない。インドではテロ警戒のため標的となるような施設の写真撮影は禁止されている。しかし、
そうした禁止標識はほとんど 表示されていないない。同じ鉄道でもインド国鉄では駅舎を含め、全く自由に
写真撮影が出来たが、メトロ構内での撮影は厳しく制限されている。禁煙標識を撮影したときも、駅の壁に掲げ
られているポスター写真を撮影したときも係員から注意を受けた。


(L) ニューデリー駅切符売り場
(R)デリー鉄道駅構内のコンクリート床に寝転ぶ人、居座る人


インド鉄道は1853年に開業以来150年以上の歴史がある。年間、延べ58億人が利用しているとされ、総延長
62,000キロの大鉄道網を誇っている。しかし、その質となると世界でも最低の水準で、極貧の社会をその
まま 映している。薄暗いデリー鉄道駅のホールには、たくさんの人々が粗末な服装のまま横たわっていた。
昼間でも不気味な雰囲気に一刻でも早く離れたい衝動に襲われ急いで駅を後にした。 現在はニューデリー駅
がその中心となっているようだが、ここの切符発売所も駅のホームも、多様の乗客に埋もれて、他国では
見られないような異様な光景を示していた。車両を清掃した形跡はほとんどなく、窓ガラス は、くもりガラス
のようだ。多くの車両の窓には鐵の棒が渡され、一見、囚人か動物の輸送に使われているかのように見えた。
日本ではすでに消滅したが、アーグラ駅ホームではたくさんの売り子が働いており、食べ物を鉄棒と鉄棒の
間から乗客に品物を渡していた。列車の運行表示などネット化されたといっても、それはごく限られた範囲で、
全てがアナログの世界である。2010年3月に放映されたNHK番組「爆走都市、ムンバイ」によると、ムンバイ
の 人口増加はものすごく、2020年に世界最大の都市となると言われる。現在でも通勤列車の混雑はとても
すさまじく、2010年現在、毎日、10人以上の鉄道事故による死者が出ていると報道されている。インドで
あるからこそ、そうした現実も許容できるのだろう。


(L) インド国鉄の機関車
(R) すべての車両には窓からの出入りを防止するため鉄の横バーが取り付けられている
駅の食べ物などの売り子は鉄格子の間から品物を受け渡ししている


アジアの大国、インド。総人口は12億人を大きく超える。首都のニューデリーも裕福な階層は、ほんの一握りで、
貧富の差は 大きく、多数の極貧の人々の生活が目に映る。インドでは空港到着時以来、あまりの汚さ、人々の貧しさ
に驚きの連続であった。ニューデリー市の中心は放射道路を リング状に束ねている環状道路、コンノート・サークル
に囲まれたコンノート・プレイスであるが、小さな公園の他は土砂の飛び散る荒れ地と、いつ終わるか分からない、
そうした建設現場だけであった。世界のどの都市でも見られる中心的な建物、 商店街などがない。オートリクシャ
に案内されたコンノート・プレイスの近くのインド政府公認と称する(そうではないのは間違いない )店舗の裏は
廃墟のようなビルに貧しい人々が生活していた。インドでは人間と動物とが同じ空間で生活を分かち合っている。
道路にはたくさんの牛が寝転がり、馬が荷台を引いて走る。誰かが飼っているのだろう、太りきった黒豚が堂々と
でこぼこの道を歩いている。


極貧の人々・・・

ニューデリー中心街の光景 (L) Connaght Placeの歩道で暮らす人々
(R) Conaught Circus 近くの壊れかけたビルに住つく貧しい家族


(L) デリーの街角 Chandni Chowk, Old Dehli (R) ニューデリーの歩道 Bangla Sahib Road


有名なジャンパス通り でも足を踏み入れるのを躊躇するような商店が立ち並び、歩道の上には果物などを
売る露天商が品物を並べている。オールド・デリーでも崩れそうな店舗の上にも小屋が建て増され、多くの
人が居住している。すべての人々が必死に なってその日その日の糧を求めてそこにいるとの印象を受けた。
短距離を移動するにはオート・リクシャーと呼ばれる三輪タクシーが便利である。料金は交渉次第で、
50ルビーから 200ルビー程度を考えておいたらよい。荒い運転をするものもいるので、振り落とされない
ようにしっかりと最寄りの鉄棒につかまっている必要がある。たとえ事故を起こしても補償されることは
ないだろう。タクシーはよほど警戒し ないと、法外な値段を請求されたり、とんでもないところに連れて
行かれたりすることがある。割高でも必ずホテル手配のハイヤーを利用するのが安全だ。

インドでは命に危険が及ぶような凶悪犯罪の発生率は比較的低い。しかし、毎年少なくない行方不明の
外国人旅行者もおり、ときには命を奪われることもある。現地の人からは外国からの旅行者は多額の現金を
身につけて 歩いていると思われている。一人で歩く女性はほぼ皆無で、この地では非常に危険である。


'Indian Travel Bureaw'.と偽装したサイン


インドでは日常茶飯事に外国人旅行客相手のいかさまが横行している。タージ・マハルのあるアーグラへの
特急列車もペテン師の活躍の場となる。ガイドブックやネットサイト情報を通じ外国人観光客をだます手口は
知ってはいたが、「Eチケットを持っている 外国人にはインド政府のスタンプ( government stamp )が
必要と迫る。筆者はこれが明らかな、いいがかりだと 拒否したが、列車出発の5分前に、「それでは荷物を
持って列車から降りろ」とすごまれ、一日を棒に振るリスクを回避するため、だまされていることを知り
ながらも、言い値の半額ほどのスタンプ代金を支払った。 その途端、列車職員を演じていた男は急に笑顔に
なり握手を求めてきた。こうした行為は日常茶飯事で政府や鉄道会社が黙認しているとしか思えない。
背後にはこれらを取り仕切る地下組織が存在し、当然、賄賂もまかり 通っているのだろう。

2008年に英国で制作され、2009年のアカデミー賞を勝ち取った「スラムドッグ・ミリオネア」ではインド
で極貧の生活をしている様と暗黒の世界とが描かれているが、その光景は決して架空のものではなく、
非常に現実に近い 情景を映し出したものだと、インドを旅して始めて実感できる。団体ツアーなどでは
決して味わうことの出来ない本当のインドの姿は、個人旅行でのみ始めて取得することが出来る。 自己
責任であるからこそ、その安全性について軽視してはならない。社会全体がまだ日本や欧米のような
一定の規律に守られて通常の旅行が出来る状況ではない。数千円の予期しない出費は円滑油として捨て
ざるを得ないだろう。 むしろゲーム感覚でペテンと向き合って旅を楽しむ余裕が欲しい。しかし、観光客
相手のだましが受け入れられないと分かると、そこで牙をむくこともある。十分な注意が必要である。
「地球の歩き方・インド」にも、詳しく記述されている。

オート・リクシャーと呼ばれる三輪タクシーや、単にリクシャーと呼ばれる人力三輪車の利用にもリスクが伴う。
大部分のドライバーは誠実だが、乗車前に英語で料金を決めておかねばならない。ニューデリーではそのよう
なことはなかったが、悪徳ドライバーの多いアーグラでは全部で100ルビーと決めておいたにも関わらず、
降りるとき 一人100ルビーと2倍の金額を請求された。苦情が相次いだので市当局はニューデリーから着く
アーグラカント駅前にチケット売り場を設けた。手数料2ルビーを支払うがここから目的地までは安心して利用
できる。ただし、こうした取り組みは、あく までも特定の鉄道駅から乗車した場合に限られる。


(L) 手先を箱に入れて切り取られた入場券
(R) デリー、ラール・キラー(赤い城) の前では、三輪タクシーやバイクが優先走行、歩行者は二の次



アーグラはタジマ・ハールと共にいかさまのメッカとしても知られている。アーグラでは城塞、寺院などの
入場券もまやかしの対象となっている可能性がある。アグラ城の入場券売り場の少し先にチケットをチェック
して半券を切り取る場所がある。しかし、係員はなんとチケットを見えない箱の中に手先を入れて切っている
ではないか。実際は切ったフリをして既に使用された半券を渡していたのだ。その証拠に買ったばかり の
チケットが多少汚れたものに変わっていた。買ったばかりの全券はまた同じ切符売り場で売るか、場外でさばく
のであろう。あとで気付いたので手遅れであったが、新しい券と渡された券との写真を撮っておけば、刻印
番号の 違いで、その不正を立証できたと思う。ヤムナー川沿いのイティマッド・ウッダウラーでは、本来は
観光客の手に残るべき半券を回収していた。同じ手口で悪用される可能性が高い。

クレジットカードにも注意が必要でる。筆者は一度しか使用しなかった大手カード会社のカード番号が悪用され、
全く知らないうちに3回にわたって格安航空券が買われた事実も判明した。幸いカード会社のセキュリティ
部門が疑問を抱いたため、 実害が出ずにすんだ。インドではクレジットカードは、一見健全な店と見えても、
一流ホテル以外では使用しない方が安全だ。インド・ルビーに換金し過ぎたお金は、ニューデリー国際空港の
チェックアウトロビーで、再び日本円に戻すことが出来る。現金の両替料は カード情報流失の危険性を考えれば、
そう高くない。ただ、現金を持ち歩く大きなリスクは残る。



(L) 衣装や花で飾られた死者を馬車で運ぶ情景 (R) ヒンドゥー教において牛は聖なる動物、でも痩せている

(L) 多くの女性たちがヤムナー川辺で洗濯している (R) ヤムナー川に架かる狭い鉄橋


ヤムナー川ではたくさんの女性がサリーや着衣を洗濯している。その川に架けられた橋の幅は狭く、車、リキシャ
と二輪車とが 激しく警笛を鳴らしながら、かき分けて前へ進む。交通ルールなどこの国には存在しない。リキシャ
の運転手は「警官に呼び止められたので罰金を払わねばならないから、100ルビーを後で返すから貸してくれ」と
100ルビーをその警官に渡して いた。実際は50ルビーを渡して自分で50ルビーをしまい込んだことも考えられる。
この100ルビーはガソリンを購入したとのことで返金されなかった。いくら警官に渡ったかは不明だが、賄賂で
あったことは間違いないだろう。



(L) タージ・マハル (R) 外国人とインド人とを区分けした入場券売り場


ヤムナー川に沿った地にある廟でムガル時代の墓所。ジャハーンギルのお妃、ヌール・ジャハーンが1622年~
1628年に父母のために建てたという。中央に座する廟は白の大理石で建てられ、芝生の庭園に浮き出ている。
大理石の美しく見事な技法はタージ・マハルへと引き継がれた。 タージ・マハルは、インド北部アーグラに
ある総大理石造のインド=イスラーム文化の代表的建築である。ムガル帝国 第5代皇帝シャー・ジャハーンが
愛妃ムムターズ・マハルの死(1630年)を悼んで22年の 歳月をかけて建設され、4本のミナレット(尖塔)
に囲まれた霊廟である。1983年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されており、インド観光の目玉とも
なっている。 タージ・マハルを造るための建材は、インド中から1,000頭以上もの象で運ばれてきたといわれ、
大理石はラージャスターン地方産、その他、碧玉はパンジャーブ地方から、翡翠は遠く中国から、トルコ石は
チベット から、ラピス・ラズリはアフガニスタンから、サファイアはスリランカから、カーネリアン(紅玉髄)
はアラビアから持ち寄られたものだという。全体で28種類もの宝石・鉱石がはめ込まれていた。その頃には
隆盛を極めたムガル帝国の国庫も、度重なる建設事業により底をついていたとの説がある。

正面入口からの入場は大変である。先ず入場券の売り場の長い列に じっと我慢せねばならない。インドでは外国
人観光客に数倍の料金を請求することが多いが、このチケットオフィスでも例外でない。外国人用の入場料は
インド人の37.5倍である。念のために書き添えるが、 この料金格差は公式に認められたものである。善意に
解釈すればインド国民の収入に配慮した料金ともとれるが、国外から訪れる観光客からは、なんでも搾り取れと
の意向も垣間見られる。


(L) 片田舎の町で見かけたクラシックバス (R) 地方都市の喧噪
写真はアーグラとニューデリー間で撮影


(L) マハトマ・ガンディーが弟子たちを連れてインド国内を遍歴ː 写真はアーグラからの帰路にデリー近郊で撮影
(R) 500ルビー紙幣

一日一便しかない航空機が欠航となったため( ホテルからそう伝えられたが、ホテル手配のタクシーを利用
させるための偽装工作かどうか、今となっては真偽のほどは分からない )ホテル・トラベルデスクの手配で
アーグラからニューデリーまでハイヤーで移動した。アグラ駅近くではひどい交通渋滞に巻き込まれた。
交差点の中心では交通警官が手信号で警笛を鳴らし続ける車の列を誘導していた。空気は極度に汚染されて
いると 思われるが、ガスマスクなしでも大丈夫なのであろうか。断続的に有料道路に入ったが、その前後の
路面は比較的よく整備されている。町には廃車寸前のバスが今も活躍している。ハイウエイNH2の道路脇には
時折、果実を売る店が建ち並ぶ。ニューデリーのホテルまで、200キロ、その所要時間は20分ほどの休憩を含め、
約5時間であった。

テロに怯えるインド・・・


(L) デリー・レッドフォートのセキュリティポイントに築かれた砂嚢
(R) タジマ・ハール主要門に男女別々に設置されたチェックポイント



今回のインド旅行で改めて、世界には今なお内戦やテロに脅え備えている地域が少なくないことを思い知ら
された。 銃を肩に背負って重点地域を警戒する光景はパリなどでも見られたが、これほど多くの兵士が記念碑、
寺院、ホテル、空港などに配備され目を光らせている場面には出会ったことは無かった。特にホテルや寺院
の入口に土嚢を積んで 警戒する様は戦時下の状況に等しい。平和に見える街角も、いつ弾丸の飛び交う戦場
に変わるかも知れないのだ。平和な日本では到底想像しがたい状況がそこにある。 テロの標的となり得る
公共機関、空港、駅、市場等多数の人が集まる場所では十分な注意が必要である。


引用: India national Health Portal

健康上の問題もある。インドでは深刻な下痢に注意が必要である。 インドで最も起こりやすいのが下痢である。
ネット情報によると、訪問した2010年に於ける下痢が原因での子供の死者は、年間 167,616人と記録されている。
近年、少しづつ減少しているが、2015年現在、117,185人の子供が死んでいる。下痢は薬を飲んで数日で治る
ものもあれば、長期間持続する悪性の細菌性下痢がある。アメーバ赤痢菌、チフス菌、サルモネラ菌、病原性
大腸菌、腸炎ビブリオ菌、ブドウ球菌などがその起因菌 と知られている。

筆者は一流ホテル以外では一切食事をとらず、飲料水もホテルで供給されたペットボトル以外を飲用しなかったが、
どこにでもいるブドウ球菌だけでは説明できない原因不明の理由で、抗生物質も全く効果なく、帰国後3ヶ月近く
にわたる長期の 下痢にひどく悩まされた。しかし、海外旅行者にも対応する国立国際医療センター病院の処方で、
意外な薬剤を服用して完治した。普段、清潔な生活を送っていると、激しい下痢に襲われて体調を崩す可能性が高い。
日本で暮らしていると当たり前 のように思っていることが、インドから帰ってみて「日本て本当に清潔な国なのだ」
と改めて都市設備のすばらしさを再認識する。

今回のインド旅行は今までのものとは全く違った異質の経験であった。警備員に守られた一流ホテル敷地内とその
外で、 あまりにも違いすぎる世界、豊かさと貧困、それも本当の極貧の世界。そのなかで外国人旅行者を狙った
滑稽までのペテン工作。それが日常的に通用している社会、それを許しているインドの社会。底辺からの腐敗が
上の役人までも むしばんで賄賂に明け暮れる生活。その中で生まれつつある新生インド。10年後はどのような
世界になっているのだろう。


【追記】 インド旅行記は2010年3月に書かれたもので、今もそうであるとは限らない。
2020年現在:インド人口は、14億3,900万人(世界一)であり、名目GDPは上位6ヵ国に入る



為替レートは、2010年には1ルビーː 1.91 円、2022年1月現在、1ルビーː 1.50 円で、0.41ルビーほど円高に
2022年1月の統計によれば、インドでのCovid-19の感染者は、3,320万人、死者は、48.8万人である。
引用:Our World in Data

India 日本語併記英語版目次
Arrival to India  India's hotels Dehli temples Dehli Metro Indian railways
New Dehli Agra Taj Mahal Cheating in India Security in India Smoking ban in India 
India 2010

インド訪問記日本語版
2010年3月 執筆および写真撮影  2022年1月加筆 医学博士 宮本順伯
Copyright(C) 2010 Junhaku Miyamoto, All rights reserved.


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