1945年8月15日 第二次世界大戦 戦争終結:敗戦確定日


敗戦を知らせる昭和天皇の玉音放送[再生するには画面をクリック]


疎開先の長野の片田舎、蝉の声のこだまする夏の暑い日、新型爆弾が広島、長崎に投下されて数日後であった。当時、私は12歳。
ラヂオの前に父、母、姉で集まって、昭和天皇の初めての肉声を拝聴した。涙がとめどなくこぼれ落ちた。8月30日にマッカーサーが
初めて日本の厚木飛行場に着陸、その数週間後、志賀高原に向かう進駐軍の兵士らを道路際で見送った。小学校で米兵は鬼の顔を
していると教えられていたが、実際は明らかに人間の顔であった。しかもニコニコと笑顔を振り撒いていた。




GHQの5年8カ月 マッカーサーの戦後の日本統治
MacArthur set Japan's course after the war



[L]日本の無条件降伏を発表するアメリカ大統領[R]戦勝に湧くタイムススケアー

[L]相模湾に終結、上陸用舟艇で上陸する17,000人の海兵隊 上陸地は横須賀日本軍海軍基地 
[R]マッカーサー元帥はフィリピンから直接厚木飛行場に着陸



1945年9月2日、戦艦ミズーリの艦上で第二次世界大戦は正式に終結しました。まずマッカーサーが行ったスピーチのあと、日本の天皇と
政府の代理として重光葵外務大臣が署名を行い歴史上最も多くの被害と戦死者を出した戦争は、このわずか23分間の式によって終結した。、

各代表も以下の順番で署名を行いました。 アメリカ合衆国代表 チェスター・ニミッツ  中華民国代表 徐永昌  イギリス代表 ブルース・
フレーザー  ソビエト連邦代表 クズマ・デレヴャーンコ オーストラリア代表 トーマス・ブレイミー  カナダ代表 ムーア・ゴスグローブ
フランス代表 フィリップ・ルクレール  オランダ代表 コンラート・ヘルフリッヒ  ニュージーランド代表レナード・イシット


B29爆撃機により焦土化した本土。そこにとバラック小屋を建てて生活を始める人々

竹やりでン本土決戦に備えていた国民は空から進駐してきた占領軍を、呆然と、あるいは平気で、あるいは歓呼の声を持って迎えたのである

一方、日本軍の武装解除が次々に進められた

[L]GHQ[連合国軍最高司令官総司令部]は東京日比谷の第一生命本館に設けられた
[R]天皇および日本政府の権限は連合軍最高司令官に従属する

[L]戦時中に撮影された白馬に跨る天皇陛下
[R]ギャラップの調査では、[天皇を処刑 33%][裁判で決める 17%][終身刑 11%]を示していた

日本分割占領案:ソ連が北海道と東北地方、関東関西沖縄地区を米国、中国地方と九州を英国が、大阪を中心とした地区を中国と米国、
  東京地区をを米、ソ、英、中国が共同統治





1945年9月27日にアメリカ大使公邸を訪問した昭和天皇
マッカーサー元帥は回顧録のなかで、こう述べている:私は不安を覚えた。天皇が戦争犯罪者として起訴されないよう、自分の立場を主張する
のではないかと思ったのだ。しかし、それは見当違いだった。天皇はこう言ったのである。[マッカーサー元帥、私がこちらをお訪ねしたのは、
国民が戦争遂行のために行った政治的、軍事的決断や行動の全ての責任を負うものとして、わが身をあなたの代表する諸国の採決にゆだねるため
です。]私は大きな感動に心をゆさぶられた。


[L]天皇を見送るマッカーサー元帥 [M]天皇を戦争犯罪者として裁判にかけることはしないとの決定が高い政治レベルで下された

[R]皇室の催しを非公式の話し合いの場とした、それは千葉と埼玉で行われた鴨猟であった
招待客の中にはウエップ東京裁判裁判長、キーナン主席検察官もその中に含まれていた。


マッカーサーは、占領統治をスムーズにするため政治的判断から昭和天皇の戦争責任を問わないことにした。現人神と崇められていた天皇の
罪を追及すると、占領軍に対し武装蜂起する動きなどが現れて日本中に大きな混乱が引き起こされる。それ故、新憲法では天皇に象徴としての
地位を与え、長年、日本に根ずいていた天皇制を柱とした。



ケーリー

GHQの中にも天皇制を守るために進言した人がいる、ケーリーである。[日本国民がこれだけ大変な爆撃にあったのだから励ますことが
一番望ましいことである][天皇が日本の各地を回るのがいいのではないか]と進言し、1946年2月、天皇の地方巡幸始まる。


軍装のお写真を見慣れた私たちにはとても明るく、しかし天皇は神でもあり、また人でもあります
・・戦前期には天皇は現人神と言われていた

即ち神とは欧米人が考える神ではなく、日本人の生活から考えられた神であります

将来を担う子供たちにも積極的に声をかけた[戦災は?うちは焼かれなかった][新日本建設にお互いに努力して行きたいね]
天皇が国民と共通の立場で合うのは史上初めてのこと・・1954年まで米軍統治下
にあった沖縄を除く日本全土を巡幸した。
沖縄は米国の1つの州または準州となる可能性が囁かされていた。日本へ返還されるまでは道路は日本とは異なる右側通行であった。


日本政府に憲法案を作成させた時、それは極めて保守的であった。そのためマッカーサーはGHQ民政局に憲法の草案造りを命じた。
民政局次長ケーディスは全力を注いでも困難な事業でしたと語る。


[L]天皇の民主主義が重要な役目を担うだろう [R]1946年11月3日、日本国憲法が交付された。
 天皇のことば:自由と平和を愛する文化国家を建設するように努めたいと思う


天皇は1989年1月に87歳で崩御。筆者は冷たい雨の降る新宿通りをゆっくりと進む天皇の亡骸をこの目で見送った。それは一つの時代の終焉であった。



GHQの改革案で日本人の暮らしが大きく変わった。
心ある人々の間に叫ばれて来た婦人の政治参与は、終戦による世論の解放と民権の拡張により、ここに実現した

5大改革[1.婦人参政権][2労働組合結成][3. 教育の自由化][4. 圧政的諸制度の廃止]

[5. 経済機構の民主化]財閥の解体

マッカーサーは連合国理事会でGHQ民政局の作成した新憲法に於ける先進性を戦争を誇らしげに語った
[新憲法に掲げられた戦争放棄の提案を全世界の人々が真剣に検討されるよう勧めたい。この考えこそ世界の進むべきただ一つの道である]


1947年5月、国民主権の日本国憲法を施行、国の主権的権利として戦争は廃止する

マッカサーには米国大統領への大きな野望があった:大統領へのキャンペーン・・東京での輝かしい実績が何よりの証拠、
だが、1949年大統領選挙投票数、1094票のうちマッカーサーは11票のみ

1948年3月、国務省政策企画本部長、ケナンは東西対立の激化する中、マッカーサーに反共産主義を進言する筈だったが、マッカーサーは
[日本人には全体主義の不幸な記憶が未だ生々しい、日本の共産主義者は脅威ではない][彼らは決して共産主義の支配を受け入れることは
ないだろう]と述べ受け入れなかった。

中華人民共和国の成立(1949年10月)
しかし、マッカーサーは1949年の総選挙での日本共産党の躍進、中華人民共和国の成立などに直面して対日政策を180度転換させる・・
最終的には占領政策の改革に関しワシントンからの指令が発せられた。


1950年6月、朝鮮戦争の勃発:北朝鮮を支援する中国人民義勇軍が参戦。北朝鮮が38度線を越え韓国に侵入、マッカーサーは北朝鮮と戦う
国連軍の司令官に任命された。その中心は日本に駐留していたアメリカ軍であった、その後の治安の空白を埋めるためにマッカーサーは
警察予備隊の創設を要請した。

マッカーサーは吉田首相に書簡を送り[この平和な国を無秩序と闘争の場に変え、成長しつつある民主主義を破壊しようとしている] 
そして共産党中央委員の公職追放を指令する

1951年4月、世界が驚かされるニュースが届いた。ワシントンとマッカーサとの袂の決別である。彼は戦争を決着させるためにアメリカ政府に
原爆の使用を求めていた。一方、トルーマン大統領戦争を朝鮮に限定したいと願っていた。第3次世界大戦を避けるためである。
大統領はマッカーサーをすべての職務からは解任した。1951年4月、マッカーサーは日本を離れた。


マッカーサーの連邦議会での退任演説:[老兵は死なず、ただ消え去るのみ][戦後、日本国民は近代史に記録された中では最も大きな
改革を体験してきました。日本ほど穏やかで秩序ある勤勉な国を知りません。また日本ほど将来、人類の進歩に貢献することが期待できる国も
ないでしょう。]


1952年4月 日本独立


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[L]マッカーサー、息子アーサー、妻ジーン・享年101歳
[R]1964年4月、マッカーサー元帥はウォルター・リード陸軍医療センターで死亡、84歳
  葬儀は国葬で行われた




第二次世界大戦その歴史と終末
靖国神社分祀
戦犯7人の遺灰は海へ
北方四島はソ連(ロシア)が不当占拠した日本固有の領土


MacArthur set Japan's course after the war
マッカーサーの戦後の日本統治5年8カ月
2024年8月執筆 医学博士 宮本順伯
記事写真引用:NHK 「GHQの5年8カ月」Wikipedia 他

写真説明および記事は放送内容を基に独自に再編集
The article was written in August 2024.

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 Russia unduly occupies our Northern Territories of Japan.
 Stop merging war criminals and war victims at Yasukuni Shrine.
 World population: seven billion v.s. Declining birth rate in Japan
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