A級戦犯、太平洋に散骨 米軍将校の報告文書発見





東条英機元首相ら絞首刑となったA級戦犯7人の遺体の入ったひつぎを乗せ横浜市の火葬場に向けて巣鴨プリズンを出発する米軍のトラック=共同



極東国際軍事裁判


死刑 東條英機 陸軍大将 内閣総理大臣 ハワイの軍港・真珠湾を不法攻撃、米国軍隊と一般人を殺害した罪
死刑 板垣征四郎 陸軍大将 陸相、満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長 中国侵略・米国に対する平和の罪
死刑 木村兵太郎 陸軍大将 ビルマ方面軍司令官、陸軍次官(東條内閣) 英国に対する戦争開始の罪
死刑 土肥原賢二 陸軍大将 奉天特務機関長、第12方面軍司令官 中国侵略の罪
死刑 武藤章 陸軍中将 第14方面軍参謀長(フィリピン) 一部捕虜虐待の罪
死刑 松井石根 陸軍大将 中支那方面軍司令官(南京攻略時) 捕虜及び一般人に対する国際法違反(南京事件)
死刑 広田弘毅 文官 第32代内閣総理大臣 近衛内閣外相として南京事件での残虐行為を止めなかった不作為の責


1948年12月23日、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は日本が戦争に加担したとする「戦犯」を収容した
「巣鴨プリズン」巣鴨拘置所 (跡地はサンシャインシティとして再開発される) にて、便宜上「A級」と区分け
した7人の指導者層の死刑を執行した。昭和天皇の誕生日を選んだのは偶然ではないかも知れない。この日、
東條英機、広田弘毅、土肥原賢ニら7人の「A級戦犯」は絞首刑に処された。

これら死刑判決を受けた東条英機元首相らA級戦犯7人の遺骨について、米軍将校が「太平洋の上空から私がまいた」
と記した公文書が見つかっている。米軍による具体的なA級戦犯の遺骨処理の方法が公文書で判明するのは初めて。
文書は、占領期に横浜市に司令部を置いた米第8軍が作成。日本大生産工学部の高澤弘明専任講師(法学)が
米国立公文書館で入手した。

遺骨処理の詳細が記載されていたのは、7人が処刑された1948年12月23日付と、49年1月4日付の2種類の極秘
文書(機密解除済み)。現場責任者のルーサー・フライアーソン少佐が「戦争犯罪人の処刑と遺体の最終処分に
関する詳細報告」として経緯を記していた。 文書によると、少佐は1948年12月23日午前0時すぎ、巣鴨プリズン
(東京)で7人の死刑執行に立ち会った。遺体を乗せたトラックは午前2時10分、巣鴨プリズンを出発し、
1時間半後に横浜市内の米軍第108墓地登録小隊(現・横浜緑ケ丘高)に到着。午前7時25分に小隊を出て、
30分後に同市の火葬場(現・久保山斎場)に到着した。遺体は午前8時5分までにトラックから直接、炉に
入れられた。 火葬後、別々の骨つぼに納められた7人の遺骨は、第8軍の滑走路に運ばれ、「横浜の東の太平洋
上空を48キロ(約30マイル)地点まで連絡機で進み、私が遺骨を広範囲にまいた」と記している。

横浜市によると、滑走路があったのは火葬場から約2キロの同市中区若葉町。文書から散骨は処刑当日に行われた
ことが読み取れるが、「48キロ地点」が太平洋のどこを指すかや、時間の記載はなかった。 処刑に立ち会った
連合国軍総司令部(GHQ)のシーボルト外交局長は著書で「指導者たちの墓が将来、神聖視されることのないよう
に、遺灰はまき散らすことになっていた」と記述。遺骨は太平洋や東京湾にまかれたとの伝聞や臆測はあったが、
裏付ける公文書は、それ迄見つかっていなかった。なお、ドイツで死刑になった戦争犯罪者の遺灰は川に、NY
同時多発テロの首謀者、ビンラディンの遺灰は海に流されたと報道されている。


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マッカーサーの戦後の日本統治5年8カ月



A級戦犯7人の遺灰は海上散布
2024年9月再構成記述 医学博士 宮本順伯

情報は2021年6月21日の共同通信社記事・一部はウイキペディアによる
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