フロリダ旅行日記 1962 |
シカゴを4月6日午後に出発、有料道路を一路、ワシントンに向かいました。シカゴから100キロも
離れると交通量も少なく、時速、130キロの高速で東へ向かいました。オハイオ州に入った頃から
でしょうか、豪雨に見舞われ視界が急に悪くなり、タイヤが滑るので速度を落とし、最大限の注意を
払って運転しました。別に競争していたのではありませんでしたが、一台の車に追い越されること
もなく、アパラチア山脈を越えることが出来ました。丁度、ペンシルバニア・ターンパイクを離れる
ころに明るくなり始め、雨も止み、コヒーにサンドイッチをほおばり、ワシントンへのハイウェイに
入り運転を続けました。
Planned travel course
冬のシカゴの殺伐な風景に比し、そこには白塗りの家々が立ち並び、鳥がさえずり、マリーランド州の
田舎の春の息ずかいも、ワシントンに近づいて頂点に達しました。車のラジオから流れ来る美しい
音楽、小鳥たちのさえずり、道一杯に咲き誇る花と花、赤、白、黄、それぞれの色と色と入り交わった
雨上がりの街の新鮮さ、嬉しさで、涙がほとばり出る程でした。そして、車は滑らかに街の中心に
たどり着きました。ワシントンの桜祭りに参加、ポトマック湖畔の桜を満喫した後、名残惜しい首都を
後にしました。
Williamsburg Colonial Historic Sites 1962
8-mm film video: 1962 Auto Trip from Virginia to Louisiana, through Florida Full Version (42分)
コダックが発売した極めて初期段階のカラー8ミリフイルムを使用、
運転中は左手に車のハンドルを、右手に8ミリカメラを持って撮影しています
撮影技術は未熟
この8mmのフィルムビデオは、車でバージニア州からハンプトンローズ橋トンネルを 通り、ノースカロライナ州にある
ライト兄弟国定公園を、ノフォークの美しい公園を 訪問。フロリダでは、フロリダ市内の情景、フロリダ海岸、サイプレスガーデンズや
モンキージャングルを撮影しています。キーウエストの長い橋、キーウエストの街も短時間ですが挿入されています。
ルイジアナ州ニューオーリンズでは、当時の フレンチクォーターを撮りました。
8-mm film video: 1962 Auto Trip from Virginia to Louisiana, through Florida Shorted Version (26分)
サイプレスガーデンズや モンキージャングル、キーウエストの長い橋や街は、分離した動画サイトとしてアップしております。
撮影技術は未熟
次の目的地は、南下して見たところは、コロニアル国立歴史公園です。ジェーエムタウンとウイリアム
ブルグ、ヨークタウンとの3つの歴史上のキーポイントを美しいコロニアル・パークウエイが結んでいます。
ジェーエムタウンは1607年に英国の最初の移民が成功したところで、ここから少し内陸に向かっていった
場所で、1699年から1779年までの80年間、首都であった歴史があり、幾つもの立派な由緒ある建物が
あります。ヨークタウンは1700年代の重要な港であり、英国と戦って独立を勝ち得た街でもあります。
新緑の史跡を訪ねて、昔を思い浮かべ、当時の人々の苦労をしのぶと共に、いかに現代の生活が容易な
ものかを再認識しました。
長いハンプトン海底トンネルを抜け、ノーフォークの海岸都市に着いたときは、大西洋から吹き来る
潮風に、自ずと解放された気持ちが湧き出て来ました。ノーフォークは海軍基地の本拠地としても知られて
おりますが、残念ながら、植物園のツツジの開花は遅れていたため、早々に退散し、大きなスーパー
マーケットで食料を買い込んだ後、南下しました。ノースカロライナ州に入ると、主要道路から離れた
せいでしょうか、人影ないわびしい地帯になり、長い橋を渡ってアウターバンクス=
「ノースカロライナ州の砂州で西は内海、東は大西洋」に入ると、舗装した道路の上まで砂が風に吹かれて
盛り上がり、低速で運転を続けました。
Wright Brothers National Memorial 1962
ライト兄弟記念碑を訪れてみました。にこやかに出迎えてくれた係員が詳細に説明してくれ、 最初に
飛行機を飛ばしたところ、飛行機を制作した小屋などを訪ね、最後に小高い丘に登ってみました。
飛行機の翼を模した大きな石碑の建つ場所からの眺望は素晴らしく、後ろには緑の森と砂地、全面の
灰色の砂地には白塗りの別荘を連ねた海岸線がどこまでも連なっていました。
雨の降ったり止んだりする中、木から木へ飛び移っていたリスが一斉に集まって来ました。米国では
最もありふれた可愛い小動物で、与えたパンを喜んで食していました。内海に面していることもあり、
再び降り出した雨の中を南へと急ぎましたが、途中には野火と見られる黒く焼け焦がれた木立の林立
する地域がありました。ニューベルンという名の街には美しい家々の緑の芝生にツツジが咲き誇り、
白いフランス風の飾りのあるバルコニーを備えた、小さな家々が道に連なっておりました。
Azelea gardens : Diverted from picture postcard
ノースカロライナ州ウィルミントンビーチ の手前で車中泊、翌朝、ウィルミントン花園を訪れました。
ツツジの花が一面に咲き続くなか、朝の爽やかな光の線が木立の隙間からこぼれ、沢山のアヒルが
餌を貪っていました。湖面に沿って歩いていると目につくのは水面に根を広げている樹木に紫色の
ツツジの花が巻ついて伸びていました。3時間ほど歩いたでしょうか、元の場所に戻ることが出来ました。
こんなに広い池とは思っておりませんででしたが、再度、車でも回ってみましたが、歩いて回るのと、
車を利用して回るのでは、その受ける印象は多少違います。
Brookgreen Gardens
ウィルミントンをお昼過ぎに出発、サウスカロライナ州のへと南下しました。州境を超えると、次第に
亜熱帯の樹木に変わり、フロリダも近くなったとの実感です。一風変わった彫刻などを展示している
ブロック・グリーン・ガーデンに入りました。怪奇映画に出てきそうな、鬱蒼とした老木に糸の束の
ようなスペイン藻が垂れ下がり、黄色の小さな花が隙間を縫って点々と光の隙間を縫って咲き乱れ、
動かぬ美女の彫刻の元に、沢山の水中動物がスイレンの間を泳ぎ、カエルの鳴き声が静けさの中に
こだましていました。
暗雲が立ち込める夕立前の稲妻が走り不気味な風の吹き始めるなか、南に車を走らせましたが、風雨が
すさまじい勢いに変化したのは間もなくのことでした。18世紀の面影を残すチャールストンに着いた
時はは夕闇が迫っていました。英国のチャールス2世にちなんで名ずけられた街には英国風の建物が多く、
石畳の通り、馬車が走り、パステル カラーの南北戦争前の家々が並んでいました。ジョージア州を経て、
の日の夜にフロリダ州の北端にたどり着きました。
ここで一泊、翌朝、さわやかな朝日を浴びて、更に素晴らしい直線道路を一路南下、ジャクソンビルを
通り、スペインの遺跡、セント・オーガスティンに着きました。強い日差しの下、遊覧列車がヤシの
木の茂る道を沢山の観光客を乗せて走っておりました。乗客全員がにこにこし本当に楽しんでいました。
私どもにとっても、フロリダの第一日目は素晴らしいものでした。
Castillo de San Marcos 1962
先ず、スペイン宣教師が1565年に初めてミサを行ったと言われている小さな教会を見た後、サンマルコス
砦のスペイン軍の要塞を訪問、ここは英国との攻防戦を繰り返し、南北戦争の舞台ともなった場所です。
そして北海道の五稜郭と共通する城壁が特徴です。ここ セント・オーガスティンが、スペインの重要な
拠点であったことを考えると、なるほどと思われてきます。開閉自由の吊り橋を渡ると、切符売り場の
おばさんが座していましたが、われわれを学生と思い込み、「学生は無料です」といってにこにこして
通してくれました。昔なら、この辺でスペイン兵に切り倒されていたかも知れない思いつつ、立派な石造り
の部屋があり、番兵控え所、教会、倉庫、弾薬庫などに分かれていましたが、シダが壁一面にはびこっていた
ところもありました。
外は太陽のぎらぎら照り真夏の暑さ、中学生くらいの年頃の子供でしょうか、大砲にまたがり、きゃあきゃ
と騒いでおりました。城壁からはスペイン風の建物を右手に、海岸への橋が左手に伸びていました。馬車の
走る向こうには、モーターボートが白い軌跡を残しながら消えて行きました。城の西側がシテイゲイトで
すが、ここからセント・オーガスティン主要部への道が始まり、一方通行となっておりました。古い木造の
学校、旅館のそばには、アメリカのそれとは全く違ったスペイン独特の建物が並んでいます。アメリカと
言う最古の木造建築を見学した後、街を去りましたが、学校帰りなのでしょうか、スペイン風の服装を
まとった15歳位の女性は、新鮮な美しさで満ち溢れていました。
Alligator farm in south Florida: Diverted from a picture postcard
ライオン橋と言われている石造りの橋を渡り、海の方向には世界最大のワニ園があります。沢山のワニが
重なりあって、こちらを睨んでいる姿は凄味ある光景です。余興としてワニが滑り台から滑り落ちる
ウオーターシュートもあり、観客の興味を引いていました。
Marine Studios
更に大西洋に沿って南下すると、有名なイルカショーのマリーンランドがあります。江ノ島水族館[現在の
新江の島水族館]の元祖です。23年前に開設されたイルカを主とする魚の王国で、二つの巨大なタンクに
イルカを始め、沢山の魚を飼育し、大きなガラス越しに生態をよく見えるようにしています。イルカショーは
一日6回あり、イルカに餌を与える実演を水中、そして水上で行います。優れた長年の研究と努力の総結集の
成果です。先ず水中で鐘を鳴らすと、沢山のイルカたちが水面に集まって来ます。
大きく中に突き出た箇所に水兵が立ち小魚を次々に与えますと、イルカが一匹、二匹と跳ね上がり、時には
4匹も同時に4メートル以上も跳ね上がります。この後、観客にイルカへの餌やりを体験させてくれます。
観客の一人、選ばれた金髪の若い少女に、魚の入ったビニール袋が渡されました。イルカは慣れたもので人に
噛みつくこともなく、上手に小魚を飛び上がって食していました。この女性にはこの後、[イルカに餌を
与える資格書]なる証書が渡され、大勢の観客の笑みを誘いました。
もうひとっのタンクで行われたショーは、イルカの学校です。イルカが本物の本を背に登場します。校長
先生に挨拶を終えた後、いよいよ授業に移ります。最初は山火事をどう消火するかショーです。山を背景と
したセットで火が大きく燃え上がります。イルカの消防自動車が早速駆け付け、口から水を吹き出し、何回も
繰り返し鎮火させます。次は、音楽の時間で楽譜を前に二匹のイルカがやって来て、カーギャー、カーギャー
と合唱、その愛嬌さに観客は大喜びでした。次は体操の時間、バスケットボールです。ボールが与えられると
要領よく口先で支えながらネットのそばに運び、実に上手にネットのなかに入れます。そして、もう一回、
またもや正確な投球。野球試合ではピッチャーとなったイルカが投球、ストライク。またストライク。
人の審判員がこれを[ボール]と言ったところ、早速イルカがものいいに来ます。これに応えるべく、その
イルカに魚の餌を与え、それで収まりました。高跳びの練習、イルカは6メートルの高さのある竿まで飛び
上がり合格、次いで障害物競争、3っのバーを軽々と越えます。2匹のイルカが交互にバーを飛び越え、
写真を撮っている人々を喜ばせます。白い紙を張った輪を勢いよく飛び上がったイルカがバリバリと破り
飛び出した時に大喝采。健康診断も大切です。口を大きく開けて歯の検査、そして歯磨き、聴診器をあてて
心音検査、イルカをたたいて反射反応を見る。これも良し、・・イルカは大喜びで帰って行きました。
フィナーレは可愛い子犬を乗せてタンクを一回りしながらしっぽを振りながら退場して行きました。本当に
愛らしい動物です。
翌日は素晴らしい天気で朝の時間をデイトナビーチで過ごしました。多数の白いカモメが飛び交うなかを、
淡い白の奇麗な砂浜がどこまでも広がり、白く波が砕け散っておりました。ヤシの木の沿道で老婦人が
顔いっぱいに太陽の日を浴びながらカモメに餌を与えておりました。砂浜は堅く敷き詰められており、車で
乗り入れ、波の打ち砕ける波打ち際をドライブしました。初めての海岸砂浜での走行、片側に水しぶきを
あげながら走り回る時、・・本当に忘れが痛い幸福感一杯のひと時でした。
Sandy shores Daytona Beach Florida
名残りない砂浜を後に更に南下し、大西洋岸の宿で一泊しました。翌朝、水平線に浮かび上がる太陽とヤシの
木々を8ミリビデオに収め、マッキー植物園に参りました。熱帯植物で有名な場所で、土産物店を通り過ぎると
色とりどりの花の咲く池の畔に出ます。折からの強い日差しに照らされて何十種類の花が原色を競いあい、
その間をカモとコウノトリとが餌を漁り、鶏の鳴き声と共に、鵞鳥がグァアグァアと大声でわめきたてて
おりました。
McKee Botanical Gardens
密林の入口には九官鳥が5羽とまっておりましたが、こちらを見たまま、クア、クアと叫んでいました。密林を
入ると林の陰に据え付けたスピーカーから、ドンドンと太鼓の音が鳴り響き、鳥の不気味なさえずりと相まって、
どこからか火あぶりの祭りで、今にも原住民の矢が飛んでくるのではないかとの錯覚さえ覚えます。バナナの葉、
パイナップルの若芽、木の幹に寄生する熱帯蘭の花、クジャクが長い尾を引いて竹藪のなかをわが物顔で歩き
回っていました。立派なロイヤルパームの林を歩んでいる時、やはりフロリダにいると身をもって感じました。
このあたりから高速道路が伸びていますが、サンシャイン・パークウエイをウエスト・パームビーチまで行き
ました。ここは名前の示す通り、沢山のヤシの林立する都市でケネディ大統領の別荘もここにあります。強い
日差しを浴びた並木道はよく手入れされており、道路わきの芝生には、赤、紫、オレンジ色など、色とりどりの
花で埋め尽くされておりました。風になびくヤシの葉の下の、赤い屋根のホテルの外壁は白く塗られ、海側の
澄んだ水面に三角形の帆をかけたヨットが風と共に流れて行きました。若者たちは泳いだり、寝そべったりして
過ごしていました。その光景が、そよ風になびくヤシの葉のやわらかいリズムと、大西洋の波の砕け散るなかに
溶け込んでいました。
Miami Beach 1962
さらに南下し、フォートローダーデール、高級な屋外レストラン、バー、ブティック、ホテルが並んでおり、
ビーチと運河が有名です。大西洋の海岸沿いに走るハイウエーを伝いマイアミに着いたのは、その日の夕方で
した。道路沿いに数多くのモーテルが立ち並び、プール施設を誇る高級高層ホテルへと連なっています。
熱帯植物は至る所に植えられ大西洋の海岸が真近く迫っていました。映画に見られるような光景、・・白塗り
の豪華なキャデラック車、盛装した紳士、淑女を迎える多くのボーイたち、そうしたシーンがロビーの前で
繰り広げられます。夜は熱帯林の黒いシェルエットのなか、白い光の点と点とが線になって、それが深み
ある影として水面に揺れておりました。ホテル玄関には昼間と変わり、多くの人々が語り合い、交友を深めて
いるのが読み取れました。マイアミはアメリカ社交界の重要な基盤を提供していることは間違いありません。
私どもは海岸沿いのモーテルに宿をとり、プールで泳いだり、砂浜に寝転び、ヤシの木のもと、そよ風のが
心地よく肌に触れ、南国の強い日差しをうけながら、楽しいひとときを過ごしました。マイアミ市の南にある
モンキージャングル動物園でビデオを撮影、次のハイライト、キーウエストに向かいました。
Monkey Jungle, Florida 1962
コダックが発売した極めて初期段階のカラー8ミリフイルムを使用 (5分)
撮影技術は未熟
フロリダのハイウエイを走って不思議に思えたのは、スピード制限を表示した同じ道標でも昼と夜では違って
いることでした。夜走った時は時速、55マイル[89キロ]と出ていた同じ道標が、昼間は65マイル[105キロ]
となっていることでした。後で分かったことですが、夜光塗料を塗ってあったため、ヘッドライトに照らされた
ときは同じ道標の65が55と表示されるようになっていたのです。
キーウエスト日記 1962
キーウエストからサンゴ礁の上に架けられた長いマイアミに戻った後は、別の道を南下し、エバーグレーズ
国立公園に入りました。マナティー、アメリカワニ、フロリダ パンサーなど、数多くの希少種や絶滅危惧種に
重要な生息地を提供している保護地で、戦後に開設されました。フロリダ南部のジャングルをそのまま保存
しようとしています。道路から見ても、草原原野がどこまでも続いておます。しかし、ここで蚊の大群に襲われ、
あちこち刺され、急ぎ逃げ帰りました。
マイアミの西方に車で進めましたが、途中見付けたドライブインシアターに入って見ました。初めての経験で
したが、米国のほとんどの中、大都市の郊外に設置されており、大きな敷地に駐車スペース、その端に白い
大きな幕、小さな映写室があります。マイクを車の中に入れ映画鑑賞するものですが、ほぼ男女カップルで
占められておりました。
Cypress Gardens 1962
途中で車中泊、朝日に浮き出た内海の沿岸を通り、長い高くそびえるサンシャイン・スカイウェイ・ブリッジを
経て、サンクトペテルブルクの海岸で憩いました。タンパ湾にも長い、ハワード・フランクランド・ブリッジ
[古い橋は建て替え中]を通過、タンパ市に入りました。
ここから、フロリダ・マスト( Florida must )のサイプレス ガーデンズを訪れました。MGMの映画撮影にも
使用された美しい庭園で、熱帯植物を背景に、南部の邸宅から出てきたような、あちこちに座する盛装し、
微笑みかけてくる白人美女たちと、水上スキー・アトラクションとで有名です。庭園の小川をボートで回遊する
ことも出来、大木に繁茂するスペイン藻、真っ赤に咲き誇る花と花、鈴の形をした黄色の花々、桃色のツツジ、
足元には百合の花、大きなバラのアーチをくぐると、大きな菩提樹の木が現れ、庭園は数えきれないほどの
花々で埋め尽くされていました。水上スキーも豪華なもので、湖上でジャンプしたり、凧に乗って空中散歩や
曲芸、美しいマーチ音楽に合わせ踊るパレード等、一瞬の休みない芸の連続でした。天高く整然と聳え立つ
幹と、肌の柔らかな感触と相まって王国の庭のグストとなり歩んでいる、そうした想いを起こす庭園でした。
8-mm film-video: Cypress Gardens in Florida 1962
コダックが発売した極めて初期段階のカラー8ミリフイルムを使用 (10分)
撮影技術は未熟
沢山のネープルオレンジ、グレープフルーツなどを買い込んだ後、西に向かいましたが、南国の太陽はヤシの
木々の向こうに赤く奇麗に沈んで行きました。その夜はメキシコ湾の畔で車中泊しました。
Weeki Wachee mermaids: Diverted from picture postcard
8-mm film-video 1962 under-water show of Weeki Wachee Florida
この8mmのフィルムビデオは、人魚水中ショーのあるウィーキワチーを撮影しています。
あの20歳代の若い女性は今、80歳代の おばあさんとして生活しているでしょう。
コダックが発売した極めて初期段階のカラー8ミリフイルムを使用 (9分)
撮影技術は未熟
翌日は水中ショーで有名なウィーキー・ワチー・スプリングを訪れました。大きな地下劇場は澄んだ水で満たされ、
その中で、竜の尾や空想的な衣装を着た「人魚」による水中パフォーマンスが特徴です。入口には石造りの人魚の
像、入口を過ぎると[人魚学校]の看板が目につきます。芝生の上で、恐らく17歳、18歳のハイテーンでしょうか、
一生懸命、興味ある人魚体操を繰り返しておりました。地下の人魚劇場の最前列に座し、テープレコーダーを設定した
後、今か今かと開始を待ちました。心を沸き立たせるような音楽がなり始めると、白いバブルの煙幕が立ち上がり、
その後で「Weeki Wachee」と書いた幕を、ひらひらさせながら道化役が現れます。いよいよ水中パレードの始まり、
水中バレエダンスの開幕です。金髪の均整の取れた美しい人魚、アメリカ産の人魚でしょうか、数多くの小魚がこの
周りを囲みます。素晴らしい音楽、奇麗な声の解説、人魚はパイプから酸素を吸いながら繊細な演技を続け、観客に
愛嬌を振り撒いて行きます。ここで大きな竜が人魚を襲いかかるハプニングが起こりました。人魚は素早くホタテ貝
の中に隠れます。そして、大きなタツノオトシゴが現れます。人魚に扮した人はタツノオトシゴに乗りながら消えて
行きます。[The End]の幕が出るや否や、一斉に白い泡の幕が広がり、ショーは終了しました。
さようなら、マーメイドたち、夢のような世界が消えて行きました。
Royal Street, Canal Street, and Steamboat of New Orleans: Diverted from picture postcard
フロリダ州を西に向かい、アラバマ州で黒人差別の遺残、質素な黒人用と清潔な白人用に分かれたトイレを体験、
ミシシッピ州の海岸都市で一泊、ルイジアナ州のニューオリンズに到着しました。有名なフレンチクオーターを
訪問した時に、奇麗な双子の女性姉妹の写真を撮影したのですが、残念ながら紛失した様です。ニューオリンズ
は1718年に、フランス人によって探検されたところで、一度スペイン領となったことを除き、アメリカ領となる迄、
フランスの支配下にあったところで、今でも、かなりの人がフランス語しか話せないようです。ここはその後に
水量の豊かなミシシッピ川とメキシコ湾とのとの軸点として、綿、石油、天然ガスなどの交易場として大きな
地位を占めています。
ニューオリンズは料理のうまさでも、サンフランシスコ、ニューヨークと共に、名を連ねています。私どもも、
エビ、カニ料理を食し、名のあるコーヒーを飲んでみました。利用した店は全面鏡張りで、自分の姿を見ながら
食事をとりました。女性客が多く、フランス語を話す人も少なくなかったと思います。フランス時代の3階建ての
家が狭い道にひしめき、フランス風のベランダに可愛い花が咲いており、古風な馬車が走り、古い教会の前には、
多くの鳩が飛び交っていました。古い博物館にはフランス時代の栄華さを物語るような衣装が展示されておりました。
ニューオリンズを夜に出発し帰路につきました。途中のテネシー州、メンフィスでは丁度は春の真っ盛りで、新緑の
街を満開のツツジが彩っておりました。日曜日だったことも重なり、気持ちよい気候の下、沢山の人々がピクニック
を楽しんでいました。テネシー州のガソリン価格は非常に安く、得した気分でした。アーカンサス州、ミズーリ州を
経て、イリノイ州シカゴに戻ったのは、4月23日の朝でした。時速、150キロで走ってきても、事故にも遭遇せず、
9,000キロの距離を走破し帰宅しました。
宮本順伯 1962年4月 20歳代後半記
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Daily 1972-1974
London University Hospital Moosonee London life and Florida trip 1974 Return trip to Tokyo
Daily
2023:
90 年の人生を振り返った時、懐かしく思い出されるのは、若かりし頃の思い出である。
一見、常識を越えた発想があり、それを 実行するだけの活力があった。特に20歳代は、
見るものすべての感受性が豊かで積極的、高年の世代でのそれとは、とても比較できない。
国内で医師として毎日を、診療に明け暮れする生活を繰り返し、老後に引退するだけの
人生が、満足できるものかを問われた時、答えは見つからない。人生は一度だけのもの。
悔いのない一生でありたい。
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