カナダ・ロンドン市滞在とケベック旅行
そして ワシントン・フロリダ旅行
1972-1974




1972年
末にカナダのロンドン市に着任、大学病院での仕事が始まった。ロンドンというと、英国の間違い
ではないかといぶかる人も少なくないが、これでもカナダ10大都市の一つである。地図上ではトロントと
デトロイトとの中間に位置する。当時の人種分布は、白人が99.8%、黒人が0.2%で、東洋人は中国人の
3人と少なく、日本人は私一人のようです。ショッピングセンターは数多く、郊外へ行くと、広い駐車場を
完備したものがあります。市中心部には、近隣の農家が直接品物を売りさばく、欧州式の市場があり、
新鮮な果物、野菜、肉、たまごなどが手に入ります。とても美味しく東京では味わえないものもあります。
病院勤務中によく食したのは、主に独身者用に製品化されているデイナ―セットです。略称、TV dinner
と称するもので、七面鳥、チキン、牛肉を含めた数種類ものがあり、冷凍保存した後、オーブンレンジで
簡単に調理、食することが出来ます。


TV dinner



百貨店は市中に2軒ありますが比較的すいています。ほとんどの品物はここで買い求めることが出来ます
が、伊勢丹などとは異なり、すべての品揃えがあるわけではありません。Eatonというデパートは品格も
あり、良い品物を販売していますが、値段は東京の1.2倍から2.5倍に相当します。家具などにスカンジナ
ビア製など高級品も並べられておりますが、2倍以上の高額です。しかし、冷蔵庫、電子レンジ、洗濯機、
衣類乾燥機などの値段は0.5倍、つまり半分です。

Rented house in London, Canada


6月30日に、アパートの賃貸契約が終了するので家探ししていたところ、良い家が見つかったのですが、
6月1日からの1年間以上なら良いとのことで、6月分の1か月間を二重に契約した形でこの家を借りました。
家の前には4階まで届くような大木があり、裏庭付きでレンガが敷かれ、小さな池もあります。地下1階、
2階建て木造の古い建物には、三つの寝室があり、トイレが二つ、シャワー付きの浴室、台所、食堂の他に、
リビングルームが玄関横にあります。絨毯敷きで、洗濯機、乾燥機、冷蔵庫、オーブンレンジ付きで、
しかもセントラルヒーティング (全館暖房) です。冷房はありません。横に自動車の車庫もあり、家賃は、
暖房費、水道、湯、電気代は家主負担で、275ドルと東京の家賃とはとても比較にならないほど格安です。
[1カナダドル=275円だったので、日本円で月額、76,000円ほどとなります]。環境もよく、近くには
テームス川と名ずけられた小川の流れる公園もあります。大学病院へ徒歩15分、大学傘下のセント・
ジョセフ病院までは徒歩10分と便利なところです。

Quebec City
ガスペ半島周遊計画図



引っ越しに先立ち、6月16日からは、1962年に実現しなかったケベック州ガスペ地方へ車で旅行しました。
ナイアガラの滝を崖の中のエレベーターで降り、防水カッパを着て、凄まじい水流を実感した後、オタワ、
モントリオールの都市を経由、セントローレンス川に沿って東へ向かいました。当時、その先のガスペ半島を
観光する人は非常に少なく、海沿いの地域にはとても素晴らしい景色が展開しておりました。正に、夢の
ような日々を過ごすことが出来ました。


ガスペ半島 Perce Rock, Quebec,Canada


この後、南下し、ニューブランズウィック州から大西洋岸のノバスコシア州へ向かいました。ノバスコシアは、
ラテン語で「新しいスコットランド」を意味します。突端のケープ ブレトンまでドライブしましたが、天に
も登るような気分で海岸沿いを走りました。州都のハリファックスでは、街の人が、オンタリオ・ナンバーの
私の車を見て、「私はオンタリオ州から移住して来た。ここは良いところなので、あなた方もそうしたら良い」
と親しげに声をかけて来ました。日本人ではなく、カナダ生まれのカナダ人と思ったのでしょう。この後、
米国メイン州を通り、ボストンを経由してカナダのロンドンに戻りました。


(L) ノバスコシア州 Cape Breton Highlands National Park (R) ガスペ地方の Peaceful village 1974


翌、1974年4月には、74歳の母を呼び寄せ、フロリダ半島を周遊しました。母にとっては、恐らく最初で最後の
北米の旅とも思えたので、奮発して日本航空ニューヨーク行きのファーストクラスを予約しました。この場合、
スチュワーデスの目も届きやすいしトイレも近いので、そうした選択をしました。航空機は途中、アンカレッジで
給油着陸しましたが、ニューヨーク空港に着いた母は係員の押す車椅子で空港出口まで到着、13時間以上の旅でも
疲れた様子もなく、にこやかな笑顔で私たちと再会しました。


My mother:(L) NY Airport Exit (M) WashintonDC (R) South Carolina マートルビーチ 1974


空港では多少の頭痛はあったものの、間もなく消失したようでした。残念なことに航空鞄に入れておいた琥珀の
ネックレスやブローチをメモ帳と共に航空機の中で盗まれてしまった様で、非常に残念がっておりました。
貴重品は、当然、ハンドバッグのに入れておくべきだったし、羽田空港を出発してからは完全にVIP扱いでした
ので、かえって狙われたのかもしれません。隣の座席の外国人客が失敬した可能性がありますが、分かりません。
いずれにしても記念品だけに心残りでした。

2週間にわたる旅行中は比較的元気で、空気の良さ、埃[ほこり]の付かないことを喜んでおりました。桜の
花々を前景にワシントン国会議事堂、、バージニア州のツツジ園、サウスカロライナ州にあった南部特有の庭園、
マートルビーチの夕焼けを心に刻み、そして広々としたデイトナビーチ海岸など南下するにつれ、暖かさが
増幅され、快い海風を満喫しました。デイトナビーチには固い砂が敷き詰められており、海辺の砂上を、砕ける
波を横にドライブしました。

8mm film video: Daytona Beach: Driving on the sandy beach in Florida
デイトナビーチで波の打ち砕ける波打ち際をドライブ(3分)


当時は日本でも大変な混乱が引き起こされていましたが、湾岸戦争の石油逼迫の影響があり、一部の米州では
一日おきのガソリン規制が発出され、毎日、給油出来ない状態でしたが、私のカナダナンバーのライセンス
プレートのおかげで、外国車として例外扱いされ、困ることは全くありませんでした。特にフロリダ州では、
すべての車に毎日、自由に給油していたので、規制そのものも、州によって異なることを知りました。


Cypress Gardens: Diverted from picture postcard, except for the right picture


サイプレスガーデンズの庭園公園に盛装した淑女たちと一緒に写真を撮影し、躍動的な水上ショー、ウィーキー
・ワチー・スプリングでの水中ショーなどをエンジョイし、フロリダ州を離れました。フロリダ州でのエンタテイ
メントの記事については、[フロリダ1962]にて詳しく説明しております。

8-mm film-video 1974 Cypress Gardens of Florida (5分)
サイプレスガーデンの 8mmのフィルムビデオです。あの20歳代の若い女性は今、70歳前後の女性として生活しているでしょう。


(L) Cypress Gardens in 1974 (M) Water ski show at Cypress Gardens in 1962
(R) Great Smoky Mountains: Picture Source Pigeon Forge


ロンドンへの帰宅途中、ノースカロライナ州とテネシー州とにまたがり、残雪の残るグレートスモーキー
国立公園で山岳地帯の、清々しい澄んだ空気を満喫、谷川で食事後、深夜の時間にカナダ国境の都市、
ウィンザーから入国しましたが、税関では母が係員に深々とお辞儀していたのがとても印象的でした。
住居のあるロンドン市に向け、夜中に高速道路を走行しましたが、途中、鉄製環の部品が道路に散乱して
おり、それを避けながら慎重に運転して、深夜に自宅に到着しました。出発からの走行距離は、青森・
鹿児島間の3.3倍、6,190キロでした。


Chesapeake Bay Bridge-Tunnel Source Wikipedia and other


私にとって12年ぶりのワシントン、フロリダ旅行でしたが、自然そのものに変わりはないものの、
建物や有料庭園は近代化し、時には1960年代に見られた素朴な良さが失われ、商業化している点、
失望感を誘ったものもありました。人が増え人間が金銭を得ることを最終的な目的とする時に、こう
した事態は避けがたいものかもしれません。それでも前回通過した時は建設中だった全長28,3kmの
チェサピーク ベイブリッジ - トンネル[Chesapeake Bay Bridge-Tunnel]の一方向のみが完成して
おり、ここをドライブした時は、その技術力と経済力の力強さを改めて認識しました。当時の通行料は
5ドル25セント[2023年現在の通行料、ピークシーズン、18ドル]でした。


(L) Thames River, London Park, Ontario, Canada in 1974
(R) At a house in the City of London


母はロンドン戻った後、その外気が気持ちよく、すがすがしいことや、食事の豊かさに満足している
ようでしたが、5月に入っても、零度迄下がることもあり、寒さの続くことには閉口しておりました。
無論、暖房が入り、強い乾燥状態を避けるために加湿器を使用していたのですが、それでも乾燥が
ひどく、居心地の悪さを訴える日もありました。

移民の多い北米でよく見られる現象ですが、ここロンドンでも、祖国の英国を懐かしんで、公園を
流れる川もテームス川と名前付けておりました。冬の公園には、うっすら白一色の雪景色が広がる
光景が見られ、あたかも上高地にいるようです。春も素晴らしい。暖かい日には母は近所を散歩に
出かけておりました。広々とした住宅の芝生に、たんぽぽの花が黄色のモザイク模様を描き、桃や
八重桜の花が、一斉に、濃淡のピンク色に咲き乱れるさまを見て、ご
満悦の様子でした。カナダ側の
ナイアガラ滝の見物にも行きましたが、体調を気遣って車の後ろの荷物席にマットを敷き、そこに
横になって行きましたが、むしろ座席に座っていた方が良かったと帰宅後に分かりました。

さて、5月末になって母の帰国の日程が決まりました。ワシントン発クリーブランド経由、東京行きの
Northwest航空便を利用するのですが、私はロンドンからクリーブランド迄同席し、次の中継地の、
シカゴで母を見送り、シカゴからロンドンに戻る計画を組みました。シカゴでは搭乗して来た、全く
お会いしたことのない 日本人会社役員に、母のことを十分お願いして別れました。幸い、航空機の
中では非常に良くして貰えたと後で母から伝え聞きました。航空運賃ですが、クリーブランドから
東京まで一人704ドルですが、ロンドンから東京まで買うと、一人、561ドルで、143ドル安くなり
ます。おかげで、私のロンドン、クリーブランド、シカゴ、ロンドンまでの回遊運賃の110ドル分
全部を浮かすことが出来ました。不思議な運賃制度ですね。

引っ越し荷物を発送後に、自分たちの日本への帰国便は、その年の8月21日、バンクーバーからハワイ
経由、カナダ大平洋航空のホノルル行きに搭乗、一泊のあと、22日、ホノルル発、日本航空東京行の
便で帰国しました。

「注」は93歳の京都旅行を最後に1996年に95歳の人生を全うしました。


宮本順伯 1974年 記述
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London, Canada 1974

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Daily 1960-1963
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East Coast trip New York express train  New York auto-trip Mackinac Bridge Chicago life Chicago friends
Florida travel 1962 35,000km great trips throughout US and Canada Summer camp Denali National Park


Daily 1972-1974
London University Hospital  Moosonee London life and Florida trip 1974 Return trip to Tokyo

Daily

2013:
90 年の人生を振り返った時、懐かしく思い出されるのは、若かりし頃の思い出である。
一見、常識を越えた発想があり、それを 実行するだけの活力があった。特に20歳代は、
見るものすべての感受性が豊かで積極的、高年の世代でのそれとは、とても比較できない。
国内で医師として毎日を、診療に明け暮れする生活を繰り返し、老後に引退するだけの
人生が、満足できるものかを問われた時、答えは見つからない。人生は一度だけのもの。
悔いのない一生でありたい。





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