サマーキャンプ生活 1963



1963年7月から、北部ウィスコンシン州でサマーキャンプの医師として夏を過ごすことが出来ました。
仕事といっても、ほとんどなく、頭痛薬の投与や必要に応じ、近隣の病院へ紹介するだけでした。
報酬は、700ドル[252,000円]。当時の日本の大学卒初任給は13,000円、為替レートは1ドル
=360円でしたので、ドルベースで1か月36.1ドルのみでした。比較しても、今回の報酬は日本円に
換算すると、20倍近い、かなり高額なものでした。

既に自家用車は廃車済みであったので、施設主任の方に、キャデラックの新車で現地まで連れていって
もらいました。独立した一つの山小屋が私の宿舎として与えられました。このキャンプ施設はその後、
高齢の経営者も引退し、今は検索してもヒットせず、消滅した模様です。ここは100人程の女子ハイ
テーンのサマーキャンプで、60歳くらいの男性雑用係の他、施設長などはすべて女性職員で、私の他は、
常駐している雑用係と、時たま訪れる水上スキーの男性コーチくらいでした。参加者全員が金持ちの
娘のようで、金持ち独特の雰囲気が感ぜられました。キャンプの参加費用は、8週間で2,300ドル
[当時のレートに換算すると、828,000円]かかり、発展途上国だった当時の日本のそれとは大違い。


[L]国旗掲揚[M]キャンプファイアー[R]水泳、水上スキー:白黒写真はパンフレットから転載


キャンプでの生活は、むしろ厳しく、朝礼は国旗掲揚に始まり、各班ごとに別れて水上スキー、乗馬、カヌー、
テニス、水泳、トランポリンなどに従事します。各班の責任者はすべて20代から30代くらいの女性スタッフが
担当していましたが、水上スキーのコーチは若い男性が通いで、ボートで水上を走るスキーを牽引しながら
指導に当たっていました。広い敷地ではピクニックも含まれ、キャンプ地を流れる小川を流れて行く小舟から
私の撮影した8ミリカラービデオをホールで上映した時は大歓声が湧きあがりました。私にとって、乗馬の
経験も、水上スキーの体験も生涯初めて、アメリカ生活最後の本当に貴重な体験でした。


[L]ハイキング[R]水泳、テニス、トランポリン



 宮本順伯 1963年8月 20歳代後半記
Copyright (C) 1963 (C) 2023 Junhaku Miyamoto, PhD. All right is reserved.
8ミリフィルムをCD版に転換作業時に、短いオリジナルフィルムが転換されず消失したものと思われる

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Daily 1960-1963
Washington Hospital Center US Interstate Highway 1960-  Cherry blossom festivals Indianapolis Weekend travels
East Coast trip New York express train  New York auto-trip Mackinac Bridge Chicago life Chicago friends
Florida travel 1962 16,000km great trips throughout US and Canada Summer camp Denali National Park


Daily 1972-1974
London University Hospital  Moosonee London life and Florida trip 1974 Return trip to Tokyo

Daily

2023:
90 年の人生を振り返った時、懐かしく思い出されるのは、若かりし頃の思い出である。
一見、常識を越えた発想があり、それを 実行するだけの活力があった。特に20歳代は、
見るものすべての感受性が豊かで積極的、高年の世代でのそれとは、とても比較できない。
国内で医師として毎日を、診療に明け暮れする生活を繰り返し、老後に引退するだけの
人生が、満足できるものかを問われた時、答えは見つからない。人生は一度だけのもの。
悔いのない一生でありたい。





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